インディペンデント

どのコースを辿って進んでも、結局ある男の言葉へと辿り着いてしまう。
僕はこれまで知らず知らず彼と同じ言葉を口にしてきた。
憧れていたワケでも何でもないのに・・・彼の存在を知った時には、すでに僕は彼とソックリな主張を展開しており愛北イヌ社会と対立を深めていた。
そもそもイヌ問題は付属であって、対立の原点は名古屋(中部)思想なのよね。
高校を中退した当時から、その闘いは終わっていない。


What is a cynic?
A man who knows the price of everything and the value of nothing.

とある映画でも紹介されていた有名な言葉だが・・・
今夜はcynicalの和訳を見直してゆく末に『犬儒学派』とゆう哲学的立場の存在を知り、なんと、僕が忌み嫌うイヌ民族が持つ忌々しい性質と繋がったのだ!見事に一致しておる!!


シニカル=嘲笑する、皮肉屋な、人を信じない。
現実社会に対しては諦めた態度を取るキュニコス派
まさに愛北DNAの性質そのもの。
な・・・なるほど・・・僕が嫌う『名古屋および北愛知連合』の構図と体質に瓜二つだ。
西濃出身の両親に西尾張で育てられた僕は受け入れられるハズが無い。


愛北や一部岐阜の連中に諦めるなと呼びかけると執念深いと蔑まれたことがある。
なぜ出自のハンデを克服するために辛抱して努力する僕が悪く言われてしまうのか?
当時の僕は不思議だった。
フランチャイズのイヌや製造業のイヌ、そして名古屋のイヌどもからすれば・・・
飼い慣らされて尻尾を振る連中からすれば目障りってワケね。
シニカル・・・。人が歩まぬ獣道を歩むイヌが潜在的に持つ思想原理がその正体だったのか・・・。


彼が言う藝術家と大衆、そして評論家の三位を使えば、何を得ようが僕に付き纏う中途半端でヤリきれない気持ちの説明がつく。
片田舎者へ醜悪を伝えようと説明的に書けば書くほど評論しているかのような立場に置かれて己が見えなくなってゆく。
だからこそ彼はドストエフスキーなど極北思想に答えを求めたワケか・・・。
岐阜の山猿女たちに答え(ゴール)を求めようとした過去の僕が辿ったプロセスそのものではないか。
そこにあるのは虚無に等しい崇高な理想なのだが・・・全てのツジツマが合う。
そりゃ・・・図らずも似るわけだ・・・こりゃ、末路も似てしまいそうだな・・・。。
でも僕ぁ、片田舎女嫌いだが男色ではありません(キッパリ)。
女は好きだが、キレイなほうがもっと好きと言ったまで。耽美主義で結構。