谷底Analogy

これまで多くの片田舎脱出(脱北)を手伝い続けてきた。
地域からじゃない、片田舎レベル。低次元からの脱出をだ。


所詮は片田舎でのコト、欲を言えばキリが無い。
それでもいまだ片田舎DEEPexには志半ばの連中が集まってくる。
昨年度(3月)を区切りに、連中の惰性をも動力として受け入れ転がしているといった現状。


都市部へ移住しても金や家族を持っても変わらない片田舎育ちで染み付いたテメェらの習性。
愛北の精神貧困が気の毒だと感じたからお手伝いして差し上げた。
だが、いまだ相対的にモノゴトを見られない連中は後を絶たない。
やれやれ・・・ 今の僕ぁそれどころじゃ無いのに・・・


今年のGWも老猫が死にかけた。今はようやく安定してホッとしている。
1日でも長生きして欲しい。だが毎年脅かされるのは嫌だ。
僕ぁ、介護に疲れてしまった。その私事で余裕が無い。
来年もこの調子かと思うと気が重い。他人に理解を求めるのも面倒。
片田舎Timeは出来る限りの面倒ゴトを省きたいので無為に振る舞っている。


奉仕のツモリで続けている非営利DEEPex活動だが・・・
頑張りは認めるもののムーミンスナフキンもヒトでは無い。
現実を受け入れさせることは心苦しいものだ。
僕さえ居なければ、元々ニョロニョロだったのだから。 アチラ側へ戻してあげる。
このままでは皆を窒息させてしまうから。
阿るなと言うと閉ざしてしまう。それが精一杯なんだろね。仕方ない。


テメェらの臆病さと傲慢さには付き合いきれん。
卑屈かど厚かましいかのドチラか。
片田舎者の経験と想像力で評価されるのも説明させられるのにもウンザリやて。

どいつもこいつもAB型かのようだ。永久に中途半端。 半端者。 



愛猫が死ぬまでと、そこまでは連中にも付き合うと決めていた。
そこだけは申し訳ない。 
僕自身も老化は全てが初めてのコトばかりで、、、対応しきれなくなった。
存在が不明瞭なニョロニョロよりも、苦楽を共にした老猫に優先して時間を使ってあげたい。
公益に繋がらない、ウンザリ。
片田舎者が持つ無自覚な閉鎖性を持ち込ませたくないから、コチラも閉ざざるを得なくなるとゆう・・・片田舎者相手の苦しみから逃れたい。


DEEPexのメタ濃度も保ちたいしさ。
無自覚な片田舎者に薄められたくないのよね。
口直しのデザートなのに、、さらに後味悪くなるような奴は要らない。

ヤル気(キモチ)しか無い無能・・・ 無自覚の泥棒。

ヒロッキ対称性の破れ。 
お洒落や品など程遠い。なんとか身嗜みレベルの躾をと尻叩きに徹してきた。
畜生扱いして申し訳ないとは思うけど、虫や植物が相手ではキモチすら伝わらん。
そろそろ美しい数式の向こう側にある実存を認めようかな・・・と。
とはいえ、この美しくない環境は子育てどころか猫の生活でさえ精神衛生上望ましくない。
虫は追い払う、もしくは叩くほか無くなってしまうのよね。
僕に寛容さを求めても、そりゃ無理でしょ。


僕の哲学(美学)は片田舎での段階的な役割を終えるべき。そうでなければ困る。
片田舎者相手にヒトの尊厳を保つには、己の人間性を封ずるほか無いと悟った。


慈愛なんぞ過去に使い果たしたさ。
17年間、田舎者や片田舎者だから仕方ないと合わせて(庇って)いたのよ。
誰かが信じてあげないと片田舎者は変われないだろうと、、、それでも仇で返されるばかり。
デキないからと開き直り、居直って欲しくは無かった。
僕の地元じゃ卑怯は褒め言葉だが、愛北地方はただただ卑劣なだけ。それはそれは醜い。
孔子に言わせれば得を害する賊、僕に言わせれば敵に塩を送る低俗だ。


僕が10年前に捨てた価値を今になって拾い漁っているような輩に何が解かるの?
つまりは20年前の僕を、いまさら真似ている己にさえ気がつかないバカ。


誰が好き好んで片田舎者に関わる?
僕が女性なら、片田舎男に抱かれるなんて想像しただけでもキモい。何の罰なの?
価値観はそれぞれだと? はぁ???
ならば、片田舎者がイヌ畜生に見えてしまうコッチの価値観も尊重してくれっての。
低俗に調和することが協調性? いい加減にしてくれ。
僕だって出自の事情があった。義務は果たした。だからといって羞恥心が居直らせない。
経済的には成り上がり、精神的には片田舎者に成り下がり。

アホか。抗って何が悪い? 当然やて。  
獣や虫に囲まれるほど孤独が深まる。
人間ならば当然の感情を吐き出すことでしか人を引き上げるコトがデキなくなった。
より良いモノゴトをシェアしたいって、人間(社会)ならば当然だろ?


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そうそう。良い知らせ。
都市部メンバーがペン習字を始めるそうだ。それを知って嬉しかったよ。
5年前はまさか万年筆選びに付き合う日が来るとは思ってもいなかった。

僕が購入した片田舎不動産は、いつか書道教室をと 老後の愉しみだったが・・・
あまりの低民度っぷりに諦めてしまった。とてもじゃないが本質など伝わる気がしない。
ハコは使いませんが先月から慈善講習で教え始めました。僅かな時間だが豊かさを実感。
硬筆が上手くなったらお手紙書いて下さい。その気があるなら毛筆も教えるよ。
僕も変わってね、2年ほど前から文化は伝えてこそ価値があると心底から思うようになったのね。
片田舎成金が片田舎ブルジョア気取りどもを恥じて、より強くそう思うようになりました。
級だ段だ賞だ自己満だ、そんなの不要。肝心なのは使い道。
せっかくの機会なので、使い道の豊かな字を覚えて欲しいものです。


たまには手本を書いてみせたり助言したりはするけどさ。
修練は代わってあげられない。
遠くから僕が見てる。それで十分上手くなると思うよ。
不確定性原理ってヤツだ。頑張んな。


今月のDEEPexは京大君らと涙を流して大笑いした。
昨年度は東京活動が忙しく体を壊したコトもあって、久しぶりに腹から笑った気がした。
大笑いする僕らを見てキョトンとしている奴らもいる。置いてきぼり。
注釈無しで話を進めると隠語と隠喩が溢れるニヒルな会話だと卑屈を感じさせてしまう。
もはや暗号のように聞こえてしまうかもしれないね。
『この面白さをみんなにも解かって欲しいんやけどな』と僕が言うと、『いゃ、これが解かるヒトしか居ないような世界も、それはそれで駄目(嫌)です』と京大君が返した。さらに腸が捩れるほど笑わされた。
うん、彼は本当に優しい。ホントその通りだと、諦めてしまった僕も救われる思いだった。
こうして大笑いデキる時空は有難く、捨て難いものだ。