北の村から

実存主義Wikiによると、本質を積極的に認めない傾向があるため、唯物的、もしくは即物的になり、本質がみえなくなってしまう極端な思想も生まれる土壌にもなる。また悲観的な発想にもなりがちとなっているとある。


まさにその通りで愛北および岐阜地域は俗物賤民の里。白痴でなければ住んでいられない。
外部から北部を知るのと内部から北部を知るコトは違う。
書いてるドストエフスキーと読んで描こうとした黒澤さんの差を作品から覗うコトができる。
しかし、しかしだよ。
身をもって知る必要などどこにも無いし、むしろ知らない方が良いとさえ体験者の僕はそう思う。