絞りカスの都

ここ数日、立て続けに似たような趣旨の映画を2本観ました。
洋画と邦画、先に観たのは洋画ですが・・・先ずは邦画について。


この邦画を観て真っ先に顔が浮かんだのは愛北片田舎女のN子ちゃん。
旧DEEP時代からABC時代まで常連さんでした。
彼女のコトは旧A面ブログのどこかに書いてあるハズですが・・・旧ABCの2年目の夏の終わりに僕は女性客から嫌われるよう仕向けていきました。
僕のお気に入り顧客だったN子ちゃんにも辛く接しました。
辛くとは大人気ない意地悪をしたわけではなく、美容室をヤメるにあたあってホストではなく一人の人(男性)として本心をお話しました。
すると彼女は『ココ(片田舎)にはイイ男など居ないもん』と号泣し、それ以来疎遠になりました。


今夜この映画を観て、慌てて製作年度を調べてみると2010年度とのこと。
僕が片田舎女性を遠のけるよう仕向けたのは2011年度。
あぁ、N子ちゃんはあの時、この映画のセリフを言っていたのか・・・と知りました。


N子ちゃんは長年に渡り妻子ある遠方地域の男性と不倫関係を続けていました。
彼女は片田舎女性にしては珍しく整った容姿を持ち合わせている女性でしたが・・・
やはり育ちは片田舎女で、他のクソ女よりはマシとは思うものの・・・
悲しいほど、哀れなほど内面的に片田舎者でした。
僕は疎遠を覚悟してN子ちゃんにとって不都合な真実を口にしました。
その理由はたった一つ。
片田舎で仕事を頑張る彼女が、子供を生める年齢までには人生を取り戻して欲しいとゆう気持ちでした。
地域の習いに従い、親のスネをカジって借りを作ってしまっている彼女は・・・哀れなほど不自由な身に陥ってしまっていたからです。身から出た錆びとはゆうものの・・・『知らなかった』のは仕方がないコトだと、知らず知らずにこの掃き溜めへ落ちてしまった他の連中ら同様に気がついて欲しかったのです。


正直、片田舎にイイ男は居ないとゆう言葉はカチンときました。
彼女から見た僕とゆう男性の評価など、どーでもイイコトなのですが・・・
僕を愛した女ども、そして僕のゲスト男性らまでが見下されているかのようで不快でした。
彼女の言わんとすることは事実なので解るのですが・・・
彼女が泣き出したのと同様、お互い正直に本音を言えばお別れは必然でした。
僕だって言いたかった!っちゅーの。
女性ゲストを追い払ったその冬から徹底的に片田舎クソ女どもを露骨に嫌うようになりました。
映画で言うところカス男の遺伝子を受け、寄生虫カス女どもの教えを受けて育った片田舎女をね。
親の銭で好き放題、親のへの借りでほとんど奴隷。片田舎者パターン。
片田舎者の銭で売買されてるようなクソ女どもと仕事さえヤメればByeバイ菌。
彼女の同級生の女性もご来店していただいておりましたが・・・
別れてずいぶん経つ男の自慢話をいつまでも・・・彼は、彼は・・と聞かされ続けました。
これも映画に描かれていて驚かされました。
いまだに、ホントに、愛北とゆう片田舎では珍しく無いお話なんです。
育ちは変えることができないので難儀なものです。


その通り!と拍手して叫んでしまった劇中のセリフ。


エエ男捕まえて幸せにやる女はよぅけおる。

エエ男が捕まらんのは一重におまんらのセイや。
傍から見ちょったら、金タライに落ちた虫やき。
ガシャガシャと・・・何ヤリようがじゃ、みっともない(方言耳コピなので、だいたいこんなセリフ)

ホント、そのまんま。見苦しいほどのカス男漁り。
そしてこうもある。

顔のエエ男はたいていアホや。
今は男前見ると石コロに見える。

確かに片田舎者は顔のエエ男を警戒する。
イモ男は不倫大好き片田舎女ばかりなので心配なんだろうけどさ・・・。
・・・だからと言って、不細工、デブ、小太り、チビばかりを集めて、銭や肩書きばかりで男を選んでいるから愛北のような下手物の里がデキてしまうんちゃうの??
これも、そのまんま。
アレゴリーなどどこにも無く、ストレートな嫌味タップリの映画でした。あっぱれ。
ここまでハッキリ描かれていてもクソ女どもは気がつかないけどね。
こうゆう暴露映画は、片田舎者にとって不都合なので避けて通るだけやろね。
僕の片田舎ブログ記事と同じ。下世話な話。


そして洋画。
理想的な美しい夢物語です。片田舎女のお手本になるべく映画なのですが・・・
JディップよりOブルームのほうがカッコイイとか・・・
片田舎クソ女どもには伝わるハズもない素敵なお話でした。
ノスタルジックでも何でもない。片田舎者に脈々と受け継がれている村民DNAの今。
主人公らが余所者だから何とか成立つ物語でね。どちらか一人が片田舎DNAでは成立たない。
映画のような見識や勇気を持つ片田舎育ちなど有り得ない。
でも好きよ。あったらイイなとハッピーエンド。


奇しくも、この2作品を同時に観た僕は・・・
これでは外観も内実も・・・踏んだり蹴ったりやん・・・と、うなだれました。
陰部の暴露映画は・・・もーイヤ・・・。
昔の僕ならば、前者のような映画は観る気もしなかった。
観てもおそらく解らなかったかも。
ブサや愚者など片田舎者のキモチが解るようになったコトって・・・成長なんだろうか?
『歩み寄る』ことと『引きずり下ろされる』ことが同じように思えてならない。
こんな低次元など知らないほうが幸せでした。


先の邦画に話を戻すが・・・
残ってゆくのはカスばかり』と。事実そうだ。
事実現実が証明してるコトって・・・下衆(地域色)の血が濃くなっているだけのことで・・・
見て見ぬフリをする優しさが優しさなら、そんな優しさなど僕は要らない。
その愚かさと魅力の乏しさを埋め合わせるだけの銭なら、僕は要らない。
そんなカスに囲まれて我慢して暮らした褒美が旅行なら、僕は要らない。
家庭のための仕事、仕事のための家庭・・・片田舎はドッチでも無い。
それでも生きてくために仕事も家庭も必要なら・・・余生さえも要らない。
そう書き残して亡くなった女性を僕は知っている。
悔しいよ。本当に無念だ。
半端者の合わせ鏡から抜け出られないカス地獄。片田舎者と向き合うとはそうゆうコトだ。
ABC最後に旧ブログで言い放ったセリフとこの邦画の締め括りが全く同じだったね。
片田舎者に『自由をくれてやる』と僕は言い切ったよね? 
カス野朗の面倒を見て下さっているご立派なクソ女ども。
陰湿であることにさえ気がつけない半端者同士で好き勝手に陰口叩いとけ。
お手本通り、母親ソックリや。


この邦画・・・
美容室では語れなかった僕のB面、そのまんまやん。