忍法、言の葉隠れの術

先日、名古屋メンバーと新設caféスペースの基礎工事とミーコ用ウッドフェンスの仕上げ工事を進めた。
先行して完成像を知った彼はamazing連発。 ね、素敵でしょ。
昨年度までに作り進めてきたベースの意図がようやく解ったようで奴は興奮していた。
だからハナから言ってんの。ゆっくり作り続けるよって。
意図的にわざわざ下塗りしてから何度も重ね塗りしているのだから、んな解り易いハズが無いでしょ。
僕や君も含めて、遠くからココへ集まり寄る甲斐が無くてはならないの。
歴史を知っているからこそ奥深く楽しめる旅先ってあるでしょ?
丹念に作りかつ贅沢に上塗りを繰り返して人為的に『時』を早回ししているってワケさ。
片田舎者育ちって錆止め処理がなされていないメッキの重ね塗りみたいなもんでしょ?
だから先のゆっくりとは対照的に、皆には早く確かな経験を積み直して欲しいとワザワザ手間かけて段階踏んでんの。僕はまだ、いまだに待ってんの。
現に見て解るようになってきたでしょ。
言葉への迷いも疑いも減り、聴覚と視覚が一致する感覚も芽生え始めてきてるでしょ?
新しさへ飛びついて回る癖も、古さへ逃げ戻る癖も直ってきたでしょ?
目が肥えると言葉に振り回されなくなるのよ。銭にも肩書きにも片田舎女にもね。
良かったね。

銭で譲るには惜しい時空でなければ価値なんて無いんだよ。