シンプルライフ

仕事やめてまでバカみたいに勉強している今。
勉強と言っても偏りなく知識を洗い直しているとゆう具合で、新たな情報を詰め込んでも歳の甲斐あって理解力は高まったが歳のセイで記憶力が低下しているとゆうシーソーゲーム。
膨大なインプットのわりにアウトプットする先が無いので情報が知識にならない。
土台、中卒脳では肉付け程度、もしくは『立場を変えての解釈』で精一杯。
仕事を離れて、なるべく高校生か大学生の気持ちで日々を過ごす努力をしているうちに仕事依存症もギャンブル依存症もSEX依存性も治ってきた。勉学依存症にならないよう気をつけなきゃ。
片田舎基地に期間限定勉強ブースを設けたコトは以前このブログに記したが、土イジリのほかビリヤードをしたり書道や水墨画をしてみたり本を読んだり映画を観たりと・・・散漫と言えば散漫だが悠々自適。


昨年は古い純文学を老いた脳で改めて読み返して解釈し直してみるとゆうコトに時間を費やしたが、今はジャンルを問わず古本屋さんで適当に選んだ本をナナメ読みしている程度だ。
何かへあまりにも深く没頭してしまうと影響され過ぎてしまい、せっかく積み上げてきた半生のパーソナリティそのものが崩壊してしまいそうで怖いのよね。
傾倒し過ぎるのも困るが個性が平準化されても困る。
今夜は20年ぶりに彼の本をチラ読みしてみたが・・・面白い。
面白さもイロイロで、この本によると彼は50代中盤でスタンダールの恋愛論を読んだとのこと。
ホントかな?・・・と疑わしいフシはあるにせよ、それが事実ならば 凡才の僕に希望を与えている。
彼は言うまでも無く立派な人物であろうが、そんな彼でも僕が中学生の低学年で読んでいたような本を晩年になってから読んでいるとゆう人間らしさに救われる。
片田舎での仕事をヤメてから僕は悪口が上手くなったと感じたコトがあったが、片田舎者に向上心が無ければ無意味なので近頃は言葉遊びをヤメて簡単な社会学を笑いを交えてお話しするコトが多くなった。
他者の視野を広げようとするとき、怯えさせたり迷わせたりと段階に必要でもある手順なのだが相手の性質により親切がお節介になってしまうコトがある。それならまだ良いほうで彷徨わせてしまうと悪影響になってしまうと思うの。
それもこれも知る順序の違いだけのコトだと僕は思うのだが、先に記した通り土台の差は大きい。
片田舎者を知れば知るほど解釈の差では無く理解力の差なんだ。
連中は唯物論と観念論を語る前の段階で肝心なコトを学び損なっているので話にならない。
片田舎者は先ず、見識と経験の伴わない情報を知性と勘違いする癖を直したほうが良い。



僕も最近になって気がついたコトがあって・・・
ほんとバカバカしいコトだけれども、期間限定だからとチープなチェアーを使っていたら、相変わらずミーコが爪を立ててバリバリすんの。
これまで高級ソファーをいくつも猫に消費されて怒り狂っていたのだが、割り切った上での安物新品だと全く腹が立たないのね。
あぁ! こう解釈すれば安いだ新しいだと競って喜ぶ片田舎者に腹が立たないってコトか・・・と、唖然とした。
どこか片田舎者同士の人間関係と似ている。
東京で過ごす時間が長くなってから安物を使用するコトへの抵抗が緩和された。名古屋志向が和らいだとも言える。
そうなんだよね、ニューヨークやパリで思いっきりお洒すると異人種間でも評価をくれるのでハリが出たけど・・・
台湾でお洒落してても評価も高揚感も得られなかった。むしろ浮いてしまうので現地で現地モノに着替えたほどだ。
美容室経営時代は片田舎者の見栄に付き合い過ぎてた・・・ね。
安物で作った特設コーナーでさえ感心するメンバーも居たけど・・・周回遅れの地ではソレも無効だと僕は思うよ。
センスを掲げると低所得者の逃げ道に使われるだけのコト。
質を掲げると精神レベルの低い田舎成金が勘違い。
両方兼ね備えると、ただの嫌味・・・ほとんど拒絶。
いったい、どないせーっちゅーねん?


結局、一周先のリラックスも田舎臭くて貧乏臭いだけ。


ユーミンが昔言ってたけど、都会だからこそカントリーやノスタルジックを求めるってコトね。
田舎者は新しいもの好きと言うけれど、都市部で出会う田舎出身者との違いはその自覚の有無。
羞恥心の足らない田舎者の言動を勇気だと感じた過去もあった。
分別の無い片田舎者の言動を無差別だと感心した過去もあった。
でも実際は、無鉄砲と無頓着なのよね。
整理してよーく見直してみると、原始共産社会、奴隷社会、封建社会が混在する未開の地で未熟な資本主義者が勘違いしているだけの滑稽な環境であるだけのコト。過去の時間旅行ってこうゆうコトだったのか・・・。
だとすると、過去にした恋愛は、恋愛じゃなくて性欲だったと認めるしか無くなるやんか・・・ガッカリやわ。
そこで先のスタンダール
片田舎で僕は濃尾平野の謂わば極北である岐阜の山猿女性を3人も愛した。ちゃんとね。
偶然にも東濃の木曽川、中濃の長良川、西濃の揖斐川、各河川の上流出身の清い?女性たち。
しかしスタンダールとゆうよりロシア哲学だった。
源流、原点、原理、原始、か。 SEXも哲学も間違ってはいなかったみたいね。


片田舎の唯物論者が寄生虫女とスネカジリに喰い潰され続けて観念を失い機械イヌになるけれども・・・
全てを合理的に記号化してしまうと危険だと思うよ。
2001年片田舎への旅で機械が感情を持つほど危険なコトは無いと僕は肌で覚えたからね。
イヌはイヌらしく。機械は機械らしく。人は人らしく。
二次産業難民のユダにはなかなか伝わらなかったけどね。