固定観念

僕が口にしている『自由』は片田舎者が言う自由と別物だと旧ABC時代末期に申し上げた。


今日、ミーコが脱走?して迷子になったのね。
まだウッドフェンス作成途中なのにファームへ没頭して野放しにしてしまった僕が悪い。
慌てふためいてアチコチを探し回り遥か彼方の冒険先で萎縮してしまい動けなくなっているミーコを発見した。
元来部屋猫のミーコにとってはリバティだが、ミーコの好奇心は向上心では無い。
ミーコはフリーダムと混同して見境いを失くしてしまうのよね・・・。


田舎者を知らなかった過去の僕はソレが見分けられなかった。



僕は無頓着で八方美人で無節操な田舎者を相手に阿修羅的な覚悟を伝えようとリベラルを解いたが、ココが難しい。
自由を履き違えている不自由な連中のワガママに悩まされるばかりだった。
愛北産の飼いイヌと対照的な岐阜産の山猿を相手に二枚舌は必須。
一貫性など保ちようが無かった。俯瞰では無く大局的な立場で悩まされていたのよ。


DEEPexをスタートする時に掲げたスローガンを僕は曲げていない。
あれほど禊ぎして、これほど身を削いでまで芽生えさせた新芽に光さえ届けば・・・
ようやく、あと少しでようやく僕が掲げた自由を共有デキる時が来る。
そんなコトを想いながら、自由に不自由を選んでいる僕なのです。
念、希、稔、稀、そんな時空を大切に想っているのです。